
飯島愛
飯島愛
元AV女優でありながら、数多くの有名バラエティ番組に出演し、タレントとしても広く知られた飯島愛。
1992年のAVデビューから2008年に亡くなるまでの約15年間、AV女優、タレント、そして作家など、多岐にわたる分野で大活躍でした。
【人物像と経歴】
飯島愛は1972年10月31日、東京都で生まれました。
公表されていたスリーサイズはバスト86cm、ウエスト56cm、ヒップ85cm、身長は163cmでした。
スレンダーな体型と健康的な褐色の肌が特徴的で、特に後述する「Tバックの女王」としてのイメージも強く、多くのファンを魅了しました。
自身のブログで豊胸手術を示唆する記述がありましたが、カップ数などは公表されていませんでした。
中学生までは優等生でしたが、ご両親の厳しい躾や心の支えであった祖父の逝去などが重なり、進学した高校を中退したとのこと。
その後、一時的に非行に走った時期もあったようで、後に六本木のホステスとして働くようになります。
ホステス時代にスカウトされ、AV女優としてデビュー。
「飯島愛」という芸名は、ホステス時代のお店のママが「みんなから愛される子になるように」との願いを込めて付けてくれた源氏名でした。
【AV女優からタレントへ】
1992年、『カリスマVenus』という作品でAV女優デビューを果たし、約2年間で20本ほどの作品に出演しました。
同年からは人気深夜番組『ギルガメッシュないと』に出演。
当初は「ぶりっ子キャラ」でしたが、次第に本音をズバッと言う、後のタレント飯島愛を彷彿とさせるキャラクターへと変化していきました。
番組内でTバックの衣装を披露したことが大きな話題を呼び「Tバックの女王」として一世を風靡しました。
1993年には『ナイショ DE アイ!アイ!』で歌手デビューも果たし、CDの特典として自身が着用したとされる下着の生地が封入されるなど、斬新な試みも話題となりました。
1994年にAV女優を引退し、本格的にタレントへと転身。
とんねるずの木梨憲武がファンであったことがきっかけで、人気番組『とんねるずのみなさんのおかげです』にゲスト出演したことも、その後の活躍の足掛かりとなりました。
その後、中居正広が司会を務める『金曜日のスマイルたちへ』(金スマ)など、多くの人気番組にレギュラー出演。
持ち前の明るさと歯に衣着せぬトークで、お茶の間の人気者へと成長しました。
2000年には、自身の発言「ワタシ的には…」が新語・流行語大賞でトップテン入りを果たし、社会現象にもなりました。
また、2008年にはビートたけしのエンターテインメント賞で特別賞を受賞するなど、タレントとして確固たる地位を築きました。
【晩年と遺されたもの】
タレントとして順風満帆の中、2007年3月に腎盂腎炎などでの体調の悪化を理由に、惜しまれつつも芸能界を引退。
引退後も復帰を望む声が多く寄せられましたが、2008年12月24日、自宅で亡くなっているのが発見されました。
36歳という若さでした(死亡推定日は12月17日)。
その早すぎる死は多くのファンに衝撃を与え、追悼番組も放送されました。
飯島愛が生前に運営していたブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」には、引退後もファンからの温かいコメントが絶えませんでした。
2008年12月5日の更新が最後となりましたが、飯島さんの逝去後もご両親が7年間にわたり管理を続けられました。
ご両親が70歳を超え「突然管理者が居なくなってしまっては、ファンの方に迷惑がかかる」との思いから、2015年10月31日に閉鎖されるまで、多くのファンが追悼のメッセージを寄せ続けました。
ブログ閉鎖後も、SNSなどでは今なお飯島さんを偲ぶ声が聞かれ、その存在がいかに大きかったかを物語っています。
AV女優としてキャリアをスタートさせながらも、その後はタレントとしてお茶の間に愛され、作家としても才能を発揮しました。
飯島愛はその多才さと人間味あふれるキャラクターで、今も多くの人々の記憶に深く刻まれています。
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