
桜樹ルイ
桜樹ルイ
【90年代AV界に君臨した絶対女王 ― 伝説と神話を駆け抜けた孤高のカリスマ】
1990年代、日本のAV界に燦然と輝き、今なお「その存在を超えるものは不可能」とまで言われる伝説の女優が桜樹ルイです。
彼女の名前を聞くだけで、胸が高鳴る男性も多いのではないでしょうか。
90年代のAVクイーンとして一世を風靡し、数々の伝説を残した桜樹ルイの波乱に満ちた女優人生と、色褪せることのない魅力に迫ります。
【アイドル志望からAV界の頂点へ上った異色の経歴】
桜樹ルイさんのキャリアは、意外にもアイドル志望からスタートしました。
高校時代にはロックバンドでベース兼ボーカルを担当し、あの国民的アイドルグループ「おニャン子クラブ」の最終選考まで残ったという逸話も持ち合わせています。
その後「相沢美紀」名義でモモコクラブ桃組に所属し「一ノ瀬雅子」と改名。
グラビアアイドルとして活動するなど、芸能界での成功を夢見ていました。
NHK大河ドラマへの出演経験もあるなど、その才能は多岐に渡りました。
1989年、「一ノ瀬雅子」名義でついにAVデビューを果たします。
しかし、当時はまだその才能が開花するには至らず、出演作はわずか2本に留まりました。
転機が訪れたのは1990年で、移籍に伴い「桜樹ルイ」と改名し再デビューを果たします。
移籍先の「ダイヤモンド映像」は、本番アリの過激な内容を売りとするメーカーでした。
この環境が、彼女の内に秘められていた真の魅力を解き放ちます。
疑似ではない本物のセックスが見せる生々しいエロティシズムは当時のAVファンに衝撃を与え、桜樹ルイは瞬く間に大ブレイクを果たしました。
「改名してバカ売れしたAV女優の元祖」と言っても過言ではないでしょう。
【村西とおるとの出会いと数々の伝説】
桜樹ルイさんの才能を見出し、世に送り出したのがかの有名なAV監督・村西とおるです。
独特の演出で知られる村西氏は、当時のAV業界における名プロデューサーでした。
彼との出会いが、桜樹ルイの運命を大きく左右することになります。
CDデビューを条件にダイヤモンド映像と契約した桜樹ルイ。
デビュー曲『Papillon(パピヨン)』は8cmCDシングル、EPレコード、カセットテープの3形態で発売され、現在ではプレミアが付くほどの人気となっています。
しかし、その人気とは裏腹に、ダイヤモンド映像のハードなスケジュールや村西が寵愛していた女優(後の妻となる乃木真梨子)との待遇格差に不満を募らせ、撮影直前に失踪するという事件も起こしました。
この大胆な行動は、彼女の強い意志と決して現状に甘んじないプライドの現れだったのかもしれません。
その後、デビュー作を制作したAVメーカー「VIP」の社長の仲介により、ダイヤモンド映像に復帰。
この「スジを通す」という、いかにも昭和らしいエピソードも彼女の伝説に彩りを添えています。
【人気は社会現象へ~AVをメジャーにした立役者】
失踪騒動を経てもなお桜樹ルイの人気は留まることを知らず、むしろ加速していきます。
イベントを開催すれば全国各地で300人から1,000人ものファンが詰めかけ、AV雑誌『オレンジ通信』の読者投票で1位を獲得。
「91'AV大感謝祭」でグランプリに輝くなど、その人気は社会現象と呼べるほどでした。
「AVを見ていることを隠しておきたい」という風潮があった時代に、これだけの熱狂を生み出した桜樹ルイはAVというジャンルをメジャーな存在へと押し上げた立役者の一人と言えるでしょう。
【女優への憧れと、元AV女優という葛藤】
1991年、一般映画『幻想のParis』への出演を機に、桜樹ルイはAV女優からの引退を決意します。
かつて抱いたアイドル、そして女優への夢を追い求めるための新たな一歩でした。
映画公開後にはNHKドラマへの出演も果たし、両親との復縁も経験。
念願だったロックバンド『CHERRY ROUIE(チェリールイ)』を結成し、シングルをリリースするなど、順風満帆な活動を続けているように見えました。
しかし「元AV女優」という肩書は、当時の社会においてまだまだ厳しいものでした。
女優として活動を続ける中で、求められるのは脱ぐシーンばかり。
自身のエロティックな魅力から逃れられないという葛藤に苦しむ日々が続きました。
【ストリッパーとしての再起と期間限定のAV復帰】
芸能活動に限界を感じた桜樹ルイは新たな表現の場を求め、ストリッパーへと転身。
1995年10月、ストリップの殿堂「浅草ロック座」でデビュー。
そのショーは連日超満員となり、1日のギャラは当時としては破格の34万円だったとも言われています。
そして1996年、ファン待望の期間限定でのAV復帰を果たします。
当初3本の予定が、好評につき4作品に出演。
『不死鳥ふたたび』『リアル・ハードコア 桜木ルイとFUCKする!!』『超AVアイドル伝説』、そして完全引退作『さよなら桜樹ルイ 伝説から神話へ』。
これらの作品は、伝説のAV女優の復活として大きな話題を呼び、多くのファンを熱狂させました。
【結婚、引退、そして穏やかな現在】
実は桜樹ルイは人気絶頂だった1991年に、元AV男優でマネージャーだった方と一度結婚しています。
多忙な日々を支えてくれた最も身近な存在との恋でしたが、翌年には離婚。
その後、2000年12月にはストリッパーとしての活動も引退。
そして2008年に再婚し、現在は和歌山県で専業主婦として穏やかな日々を送っていると言われています。
激動の芸能人生を送った彼女にとって、何よりの幸せなのかもしれません。
【「焼肉屋の2階」と語り継がれるフェラテクニック】
桜樹ルイにまつわるエピソードは数知れませんが、特に有名なのが「初体験は焼肉屋の2階」という話。
専修大学で開催されたイベントで、1,000人もの聴衆の前でこのエピソードが語られ、多くのファンがその事実を知っていたというのですから驚きです。
「歴史上最も初体験のエピソードが知れ渡ったAV女優」としてギネスに認定されてもおかしくないほどの現象でした。
また、AV男優歴26年の田淵正浩が「フ〇ラが一番上手いのは桜樹ルイ」と語るなど、そのテクニックもまた伝説として語り継がれています。
【永遠のAVクイーン桜樹ルイ】
90年代のAV界を席巻し、その後の業界にも大きな影響を与えた桜樹ルイ。
彼女の突き抜けたエロティシズム、そして波乱に満ちた生き様は多くの人々の記憶に鮮烈な印象を残しました。
完全引退後の潔さは、往年の大女優・山口百恵さんを彷彿とさせるとの声もあります。
かつては高価で手に入りにくかった彼女の作品も、今では手軽に楽しむことができます。
桜樹ルイが駆け抜けた時代に思いを馳せながら、過去作で彼女の圧倒的な魅力を再確認してみてはいかがでしょうか。
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