
豊丸
豊丸
【AV黎明期に咲いた「元祖・痴女」の衝撃 ― 時代を熱狂させた革命児の伝説】
昭和から平成へと時代が移り変わろうとしていた1988年、AV界に突如として現れ、それまでの常識を根底から覆した一人の女優 ― その名は、豊丸。
今なお「痴女AV女優のレジェンド」として語り継がれる彼女は、受け身が主流だったAV黎明期に、自ら性を謳歌し過激なまでの表現で「革命」を巻き起こしたパイオニアである。
30代以上の男性ならば「豊丸」と聞けば、あの衝撃的な姿が鮮明に蘇るだろう。
【エキゾチックな美貌と、常識破りの痴女っぷり】
エキゾチックな顔立ちに、キュッと引き締まったスレンダーな肢体。
豊丸のルックスは、当時の人気タレント、ルビー・モレノを彷彿とさせ、多くの男性を魅了した。
しかし、彼女の真骨頂はその見た目からは想像もつかないほどの、大胆不敵な「痴女」っぷりにあった。
それまでのAVが、どこか受け身で「マグロ状態」と揶揄されることもあった中、豊丸は自ら積極的に絡み、叫び、乱れる。
その淫乱かつド変態的なプレイは、当時の男性たちの心と股間を激しく揺さぶり、熱狂させた。
深夜番組『11PM』や『トゥナイト』では、惜しげもなく豊満なバストを披露し、お茶の間の度肝を抜いた。
【追随を許さぬ異次元のプレイと「アへ顔」の始祖】
豊丸の登場は、AV業界に新たな潮流を生み出し、彼女に追随するかのごとく、淫乱スタイルを標榜する女優も現れ始めた。
しかし、豊丸の独創性と過激さは、他者の追随を一切許さなかった。
おマ〇コに大根を挿入してイキまくる、拳や足までまるごと挿入するフィストファックといった、まさに異次元の変態プレイは、他の追随を寄せ付けない独走状態を築き上げた。
現代のエロ漫画でお馴染みの、白目を剥き、舌を出し、よだれを垂らす「アへ顔」。
そのルーツもまた、豊丸にあると言われている。
「イグ~ッ!イグ~ッ!」という絶叫と共に繰り出される彼女のアへ顔は、あまりにも完成度が高く「デザインの教科書に載せても良いくらいのお手本」とまで評された。
【芸名は本名、スカウトも二つ返事の「天然素材」】
驚くべきことに、豊丸という芸名は本名「豊丸(ゆたかまる)」が由来だ。
デビューから2作目の『大淫シンドローム』では、本名そのままで出演。
AV女優が本名で活動するというだけでも衝撃的だが、彼女のキャラクターと名前のインパクトは、まさに運命的だったと言えるでしょう。
「甲斐えりか」という別名義での活動もあったが、やはり「豊丸」の強烈な個性が勝る。
出身は鹿児島県鹿屋市とされ、「豊丸」という姓は宮崎県に比較的多く見られることから、その信憑性は高い。
デビューの経緯もまた彼女らしい。
「渋谷のヨッちゃん」こと伝説のAVスカウトマン、鈴木義明氏に声をかけられた際「やる、やる!」と二つ返事で快諾したという逸話は、彼女の天性の素質と物怖じしない性格を物語っている。
鈴木氏も「スカウト歴の中でも驚くほどの逸材だった」と語るほど、豊丸はデビュー前から異彩を放っていた。
【ギャップ萌えの極致:オンとオフの顔】
カメラの前では、常軌を逸した痴女っぷりを見せる豊丸だが、オフの顔は全くの別人だったという。
伝説のAV男優、加藤鷹氏は彼女を「芝居と素顔の落差がナンバーワン」と絶賛。
撮影の合間には、スタッフにお弁当を配ったり、お茶を淹れたりと、細やかな気遣いを見せる女性だったという。
この強烈なギャップこそが、彼女の人間的な魅力を深め、多くのスタッフや共演者を惹きつけたといえる。
彼女の成功の裏には、こうした人間的な魅力も大きく影響していたに違いない。
【短い活動期間と、その後の多彩な人生】
AV女優としての活動期間は、意外にもわずか2年程度。
しかし、その「太く短い」活動は、AV史に燦然と輝く強烈なインパクトを残した。
引退後はストリッパーとして活動し、1990年には六本木にクラブ「プシカル」をオープン。
ママとして店を切り盛りし、多くのAV女優たちが彼女を慕って集まったという。
このクラブは、後の人気キャバクラ「レッドドラゴン」のルーツとも言われている。
芸能界にもファンは多く、1992年には、サザンオールスターズのシングル『シュラバ☆ラ☆バンバ』のPVに出演し、ファンを驚かせた。
現在は結婚し、4人の子供を育てる母として穏やかな生活を送っているという。
【常識破りの性遍歴と、科学的分析】
豊丸の痴女っぷりは、演技ではなく「天然」であったことを示すエピソードも数多い。
「セックスは毎日3回以上。撮影で何回イッてもオナニーもする」
「一度に12人相手にセックスしたことがある」
「男性経験は1,000人を超える」といった破天荒な性遍歴は、まさに伝説級だ。
その特異な性衝動は、『週刊ポスト』の企画で精神分析学の権威によって分析されたこともある。
結果、幼い頃の性体験が成長後の行動に大きく影響していると結論付けられた。
驚くべきことに、彼女の初体験は小学6年生。しかも「最初からすぐに気持ちよくなった」と語っており、まさに「ボーン・トゥ・痴女」、AV界のスーパーアスリートと呼ぶにふさわしい存在だった。
最も興奮したセックスとして挙げたのは、「海外旅行先のエレベーターで知らない男性とそのまま立ちバックでセックスした」という、もはやエロ小説の世界。
「いつでもすぐセックスできるように普段からパンティは履いていない」という徹底ぶりも、彼女の伝説を彩るエピソードの一つだ。
【永遠に語り継がれる革命児】
たった2年という短い活動期間にも関わらず、豊丸がAV界に与えた影響は計り知れない。
彼女は、それまでのAVの常識を打ち破り、「痴女」というジャンルを確立した革命児であり、その衝撃的なパフォーマンスと強烈なキャラクターは、未来永劫語り継がれるだろう。
後継者を名乗る女優は数多く現れたが、豊丸という唯一無二の存在を超える者は未だ現れていない。
彼女が残した作品は、今もなお、限界のないエロスを求める者たちにとって、永遠のバイブルであり続ける。
関連記事